よもやま茶飯事

心に浮かんだことを書き綴ります

枕草子・第5段 大進生昌が家に その3 (最終)

これまで、清少納言に笑い者にされている平生昌(なりまさ)ですが、今回も言葉使いや振る舞いが嘲笑のネタになります。

 

第6段 大進生昌が家に 3/3

 

姫宮の御方の童(わらは)べの 装束つかうまつるべきよし 仰せらるるに
中宮さまが、姫宮である脩子内親王(※)のお付きの子供たちの装束を整えるように仰せになると

一条天皇中宮・定子との間にできた第一皇女。この時は2歳7か月

 

「この衵(あこめ)の上襲(うわおそい)は何の色にか つかうまつらすべき」と申すを
生昌が「子供たちの衵(あこめ※1)の上襲(うわおそい※2)は、何色にして差し上げましょう」と申すのを

※1 上の衣と下の単衣の間に着る衣装
※2 上着のこと

 

また笑うも ことわりなり
女房たちがまた笑ってしまうのも、もっともである(※)

※子供が衵(あこめ)の上に着るのは衫(かざみ)と決まっているのに、生昌は「衵の上襲」と言っているので、女房たちが笑っている

 

「姫宮の御前の物は 例のようにては 憎げに候はむ
「姫さまのお食事の器は、普通のものでは大き過ぎて、よろしくないでしょうから

 

ちうせい(※)折敷(おしき)に ちうせい高坏(たかつき)などこそ
ちっちゃなお盆や、ちっちゃな台などが

※「小ささき」の訛り

 

よく侍らめ」と申すを
よろしゅうございましょう」と申すのを

 

「さてこそは 上襲(うわおそい)着たらむ童(わらは)も 参りよからめ」と言うを
私は「そのように、ちっちゃなお盆やちっちゃな台なら、上襲を着た子供たちも姫さまの元へお伺いしやすいすわね」と言ってやった

 

「なお例人(れいひと)のように これなかくな笑いそ
中宮さまは「(生昌を)世間の人と同じように扱い、笑わないようにしてあげなさい

 

いと謹厚(きんこう)なる者を」と いとほしがらせたまうも おかし
とても実直な者なのですから」と、気の毒にお思いにあそばすのも、おかしい

 

中間(ちゅうげん)なる折に
これといって用事のない時に

 

「大進 まず物聞えむとあり」と言うを 聞しめして
使いの者が私に「大進・生昌が何を差し置いても申し上げたいことがあります」と告げるのを、中宮さまがお聞きになられ

 

「また なでうこと言いて 笑われむとならむ」と仰せらるるも またおかし
「また、生昌はどんなことを言って、笑われようというのでしょうね」と仰せになるのも、とてもおかしい

 

「行きて聞け」と のたまはすれば わざと出(い)でたれば
「行って聞いていらっしゃい」と仰せになるので、わざわざ出向いたところ

 

「一夜(ひとよ)の門の事 中納言に語りはべりしかば
生昌は「先だっての夜の門の出来事(※1)を、中納言(※2)に話しましたところ

※1 その1に記した于定国の故事を巡るやりとり
※2 生昌の兄、平惟仲(これなか)

 

いみじう感じ申されて 『いかでさるべからむ折に
とても感心なされて、『なんとかして、しかるべき時に

 

心のどかに対面して 申し受けたまわらむ』となむ 申されつる」とて
ゆったりとお会いして、お話を申し受けたいものだ』と、申しておられました」と言い

 

また異事(ことごと)もなし
その他に特にこれといって何もない

 

一夜の事や言わむと 心ときめきしつれど
先だっての夜の来訪の一件(※)のことを言うのだろうかと、胸がどきどきしたけれど

※ その2に記した、夜に生昌が清少納言が寝ている所へやって来た出来事

 

「今静かに御局に候(さぶら)はむ」とて 去ぬれば
生昌は「そのうちゆっくりと控えのお部屋に伺うことにしましょう」と、立ち去ってしまう

 

帰り参りたるに 「さて何事ぞ」と のたまわすれば
中宮さまのもとへ帰ると、中宮さまが「それで、どうでしたか」と、仰せになるので

 

申しつる事を さなむと啓して
生昌の話をそのまま申し上げると

 

「わざと消息(しょうそこ)し 呼び出(い)づべき事にはあらぬや
他の女房たちは「わざわざ話したいことがあると、呼び出すほどのことでもないわね

 

おのずから端つ方 局などにいたらむ時も言えかし」とて笑えば
たまたま端の方か、控えの部屋などにいる時に言えばいいものを」と笑うと

 

「おのが心地に かしこしと思う人の誉めたる
中宮さまは、「自分の心の中で、すぐれていると思う人(※)が、誉めているのを

※生昌がすぐれていると思う人、つまり生昌の兄の中納言・平惟仲(これなか)のこと

 

うれしとや思うと 告げ聞かするならむ」と
あなたも嬉しく思うだろうと思い、告げに来たのでしょう」と

 

のたまわする御けしきも いとめでたし
仰せになる中宮さまのご様子は、とてもすばらしい

 

 

枕草子・三巻本 第5段 了>

 

第5段 その1

第5段 その2

 

 

【おまけ】
このお話のころ、中宮・定子(ていし)の父・藤原道隆が亡くなり4年が経過し、兄の伊周(これちか)は事件を起こして失脚、道隆の弟・藤原道長が勢力を拡大している時期です。中宮の里邸は原因不明の火災で焼失し、中宮・定子は出産のため、三等官という身分の低い生昌の屋敷に滞在するという異例の事態となってしまいます。しかし、清少納言はそんな暗さを少しも感じさせず、中宮・定子を中心にしたやりとりを生き生きと描いています。

清少納言が生昌をやり込めたのは、生昌が藤原道長に通じていたからという説もあります。暴力事件を起こして大宰府へ異動させられる途上であった伊周は、体調不良により播磨に留まっていましたが、密かに京へ舞い戻ります。生昌は定子に仕える立場であったので、この情報を聞き、道長に通報します。その結果、伊周は再度、逮捕されます。裏切者の生昌は、その後も平然と定子に仕えていたことになります。

この段では、清少納言は自らが生昌を笑いものにするという憎まれ役を演じつつ、それをさりげなく諫め、裏切者である生昌にも、いたわりの心を示す定子という構図に仕立て上げることで、定子の心の広さや、器の大きさを描いています。清少納言にすれば、「中宮様のために私はイヤな女になるから、生昌は笑われ者になりなさい」と言わんばかりです。