よもやま茶飯事

心に浮かんだことを書き綴ります

徒然草・第6段 わが身のやんごとなからんにも

わが身の やんごとなからんにも
わが身が、高貴であろうような場合でも

 

まして 数ならざらんにも
ましてや、物の数に入らぬ身分である場合も

 

子という物 なくてありなん
子供というものは、いないに越したことはない

 

前中書王 九条太政大臣 花園左大臣
醍醐天皇の皇子・兼明親王藤原伊通(これみち)、源有仁(ありひと)

 

みな族絶えん事を 願いたまえり
いずれも一族が絶えることを、願われた

 

染殿大臣も「子孫おはせぬぞ よく侍る
藤原良房(よしふさ)も「子孫がおられぬのは、よいことです

 

末のおくれ給へるは わろき事なり」とぞ
子孫が劣っているのは、みっともないこと」と

 

世継の翁の物語には言える
「世継の翁の物語」(大鏡のこと)に記されている

 

聖徳太子の 御墓(みはか)をかねて築かせ給いける時も
聖徳太子が、生前に自らの墓を造らせた時も

 

「ここを切れ かしこを断て
「ここを切り、あそこを断って、墓を小さくせよ

 

子孫あらせじと思うなり」と 侍りけるとかや
子孫を絶えさせようと思う」と、申されたとか

 

徒然草 第6段 了>

 


【おまけ】
子孫が絶えることを願うのは、現代人の感覚とはかなり異なります。ここに登場するような当時の政治家たちは、陰謀や冤罪によって失脚したり、命を落とすことも珍しくありませんでした。

歴史に名を残すような人物であればあるほど、自分の子供や孫の代になって、一族が謀略や裏切りによって衰退の憂き目に合ったり、汚名を着せられることを恐れたのかもしれません。