よもやま茶飯事

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枕草子・第21段 清涼殿の丑寅の隅の 第4回 最終回

第4回・最終回は、前回に続き中宮・定子のお話の続きから始まります。村上天皇と宣耀殿の女御である藤原芳子とのエピソードです。村上天皇一条天皇の祖父にあたり、藤原芳子は中宮・定子から見ると曽祖父の弟の娘にあたります。

 

清涼殿の丑寅の隅の (4/4)

 

いと久しうありて 起きさせたまえるに
とても長い時間が経った後、村上天皇は起きられて

 

『なお この事 勝ち負けなくて止ませたまわむ いと悪ろし』とて
『やはり、この勝負をつけずに止めてしまうのは、はなはだよろしくない』として

 

下の十巻を 『明日にならば こと(異)をぞ 見たまい合わする』とて
下巻の10巻を、『明日にもなれば宣耀殿(せんようでん)の女御が、別の古今集の本を調べ合わせするかもしれぬ』ということで

 

『今日定めてむ』とて
『今日決着をつけよう』とおっしゃり

 

御殿油参りて 夜ふくるまで 読ませたまいける
灯りに火を燈されて、夜が更けるまで、試験の和歌をお読みあそばされた

 

されど ついに負けきこえさせたまわずなりにけり
しかし、ついに女御はお負けあそばされなかった

 

帰り渡らせたまいて かかる事など
(周りの人々が)帝が女御の所へお渡りになられ、かような起きている事などを

 

殿に申しに立てまつられたりければ
女御の父である左大臣藤原師尹(もろただ)殿に申し上げたところ

 

いみじう おぼし騒ぎて
たいそう、大騒ぎされて

 

御誦経(みずきょう)など あまたせさせたまいて
僧侶に読経などを、たくさんさせて(※)

※娘の女御が失敗しないようにとの祈願のため

 

そなたに向いてなむ 念じ暮したまいける
内裏の方角に向かって、念じながらお過ごしになられる

 

好き好きしう あわれなる事なり」(※)など
風流で、趣き深い事でした」など

※ここまでが中宮・定子のお話

 

語り出(い)でさせたまうを
中宮さまがお話になられるのを

 

上も聞しめし めでさせたまう
帝もお聞きになられ、おほめあそばされて

 

「われは三巻四巻(みまきよまき)だに え果てじ」と仰せらる
「私は三巻か四巻さえも、詠み終えることなどできないだろう」と仰せになる

 

「昔は えせ者なども みなおかしうこそありけれ
「昔は、つまらない者も、風流で面白味がありました

 

この頃は かようなる事は聞ゆる」など
最近は、このような事を耳にするでしょうか」など

 

御前に候う人々 上の女房 こなた許されたるなど参りて
御前に控える人々や帝に仕える女房で、この場にいることが許されている者たちが参上し

 

口々言い出(い)でなどしたるほどは
口々に話し始めている様子は

 

まことにつゆ思う事なく おでたくぞ おぼゆる
まことに少しも屈託なく、すばらしく思える

 


第4回・最終回 了

 

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第3回はこちら

 

 

【おまけ】

枕草子中宮・定子が存命中に書かれた段と、定子の死後約10年に渡って書き続けられた段があります。この段はおそらく定子が存命の頃に清少納言が書き上げ、「枕草子」として献上した中に収納されたものと思われます。

清少納言が最初の「枕草子」を書いていた頃、定子を取り巻く状況は非常に厳しいものでした。後ろ盾であった父・道隆は亡くなり、母・貴子(きし)も他界、兄・伊周と弟・隆家は暴力事件を起こし、大宰府と出雲へ左遷、自らは髪を切り出家し内裏から退出、実家は火事で焼け出されるといった中での初めての出産・・・
心身ともに極限とも言える状態だったのではないでしょうか・・・

そうした状況で献上された「枕草子」は、悲しみや不安に苛まれる定子の心をなぐさめ、明るくするため、ひたすら華やかで、麗しい人たちの集まりとそこでのエピソードを描いています。