よもやま茶飯事

心に浮かんだことを書き綴ります

枕草子 第2段・第3段 頃は正月・正月一日は

枕草子の第2段は短く、次の第3段と一続きになっています。第1段の「春はあけぼの」に続き、新春の出来後が描かれます。第3段は長いため、前後半に分けてお届けします。

 

第2段 頃は正月

頃は正月、三月、四月、五月、 七、八、九月、十一月、二月
時節といえば、正月、3月、4月、5月、7、8、9月、11月、2月

 

すべて折りにつけつつ 一年(ひととせ)ながら おかし
すべて季節に応じて、1年中すべてが、おもしろい

 

第3段 正月一日は (前半)

正月一日は まして空の景色もうらうらと めづらしう
正月の一日は、まして空の景色がのどかで、いつもと違って清新で

 

霞(かずみ)こめたるに 世にありとある人は 
辺りが霞に包まれ、世にある人は

 

みな姿 形 心ことにつくろい
みんな衣装、顔だちを念入りに装い

 

君も我をも 祝いなどしたるさま ことにおかし
主君も自らも、祝いなどする様子は、ことのほかおもしろい

 

七日 雪間(ゆきま)の若菜摘み 青やかにて
七日、雪間の若菜摘み(※)、青々しく

春の七草摘み

 

例は さしも さるもの 目近からぬ所に もて騒ぎたるこそおかしけれ
普段なら、そんな若菜などは見かけないような高貴な所で、若菜をもてはやして騒いでいるのはおもしろい

 

白馬(あおうま)見にとて 里人は車清げに仕立てて見に行く
白馬の節会(※)を見に行こうということで、まだ宮仕えをしない頃の私たちは、牛車をきれいに仕立てて見物に出かけた

※朝廷の行事の一つ。正月に青馬を見るとその年の邪気を払うという中国の習慣にのっとり、執り行われた。奈良時代は青みがかった黒毛の馬だったのが、途中で白馬に変わったが、儀式の呼び名は変わらないまま至っている。白馬21頭が馬寮から引き出され、無名門、明義門、仙華門を通り、清涼殿の前を通過するのを天皇がご覧になり、その後、宴会が開かれた

 

中御門(なかみかど)の戸閾(とじきみ) 引き過ぐるほど
待賢門(※)の敷居の所を、牛車が通り過ぎるとき

※ 平安京大内裏の門の一つ

 

頭(かしら) 一所(ひとところ)に揺るぎあい
牛車に乗っている皆の頭が、一箇所に揺れあって

 

さし櫛も落ち 用意せねば折れなどして 笑うもまたおかし
挿した櫛も落ちて、不意のことで用心もぜずに折れてしまって、笑ったりするのもまたおかしい

 

左衛門の陣のもとに 殿上人などあまた立ちて
左衛門の陣(※1)のもとに 殿上人(※2)がたくさん立って

※1 平安京の内裏外郭7門の一つ、建春門の武官の詰所のこと
※2 清涼殿の殿上に登ることを許された五位以上の官僚

 

舎人(とねり)の弓ども取りて 馬ども驚かし笑うを
召使いの弓を取って、馬を驚かせ笑っているのを

 

はつかに見入れたれば 立蔀(たてじとみ)などの見ゆるに
牛車の簾の隙間から、ほんの少し門の中を覗き見すると、目隠しの衝立(下図)が見え

 

f:id:yomoyamasahanji:20210911115121j:plain

 

主殿司(とのもりづかさ) 女官(にょうかん)などの行きちがいたるこそ おかしけれ
主殿司(※1)や、女官(※2)などが、行き交うのも、趣がある

※1 灯燭・薪炭・清掃を担う女官
※2 主殿司に仕える女官(にょうかん)。「女官」(にょかん)であれば女御(にょうご)や更衣(こうい)といった位の高い方も含まれる

 

いかばかりなる人 九重(ここのえ)を 慣らすらむなど思いやらるるに
いかなる人が、宮中に慣れ親しまれるのかと、思いを巡らせるに

 

内にて見るは いと狭き(せばき)ほどにて
私たちが宮中を見るのは、とても狭い範囲のことで

 

舎人(とねり)の顔の きぬに表れ
召使の顔の地肌も、あらわに表れ

 

まことに黒きに 白きもの行きつかぬ所は
本当に黒い上に、おしろいが行き渡らない所は

 

雪のむらむら消え残りたる心地して いと見苦しく
雪がまだらに消え残っているような感じがして、とても見苦しく

 

馬のあがり騒ぐなども いと恐ろしう見ゆれば
馬が躍り上がって騒ぐのも、とても恐ろしく見えて

 

引き入られて よくも見えず
体が牛車の中に引き入れられて、そうした様子をよく見ることができない

 

八日 人の喜びして 走らする車の音
八日、人がお礼言上の参内のため(※)、走らせる牛車の音が

※正月の5日~7日は、男性貴族の昇進と証書が交付される。そのお礼を申し上げるための参内。あるいは8日に行われる女房や女官たちの昇進である「女叙位」(にょじょい)の結果を喜んで、あちらこちらと牛車の走り回る様子

 

ことに聞こえて おかし
いつもと違って聞こえて、おもしろい

 

十五日 節供(せく)参り 据え
十五日は、餅粥(もちがゆ)の節句の祝い膳を皇族の方々に差し上げて

 

粥(かゆ)の木 ひき隠して 
貴族の家では、小豆粥を炊いた木を隠して(※)

※当時、粥を炊いた木で女性の腰を打つと男の子が生まれるという俗信があった

 

家の御達(ごたち) 女房などのうかがうを
古株の女房や、若い女房たちが腰を打ってやろうと、あたりの気配を窺っているのを

 

打たれじと用意して 常に後ろを心づかいしたる気色も いとおかしきに
腰を打たれないように用心して、常に後ろに注意している様子も、とてもおかしいが

 

いかにしたるにかあらむ 
どうやってしたのかわからぬが

 

打ち当てたるは いみじう興(きょう)ありて
腰に打ち当てたのは、とてもおかしくて

 

うち笑いたるは いとはえばえし
みんなで笑っているのは、とても華やかで見栄えがする

 

妬(ねた)しと思いたるも ことわりなり
打たれて悔しいと思うのも、もっともである

 

新しう通う婿の君などの 
新しく姫君の家に通うようになった婿などが

 

内へ参るほどをも 心もとなう
宮中へ参内するのを、待ち遠しくして

 

所につけて 我はと思いたる女房の
それぞれの家で、我こそは(姫君の腰を打ってやろうと)と思っている女房たちが

 

覗き気色ばみ 奥の方(かた)に たたずまうを
今か今とのぞき見して、奥の方に、たたずんでいるのを

 

前にいたる人は 心得て笑うを
姫君の御前に座っている女房は、それに気づいて笑って

 

「あなかま」と 招き制すれども
「ああ騒がしい」と、手招きで制止するのだが

 

女 はた知らず顔にて おほどかにて いたまえり
姫君は気がつかない様子で、おっとりとして、座っていらっしゃる

 

「ここなるのも 取りはべらむ」など 言い寄りて
女房が「ここにあるものを、お取りしましょう」などと、言い寄って

 

走り打ちて 逃ぐれば ある限り笑う
走って姫君の腰を打って、逃げると、みんなこぞって笑う

 

男君も 憎からず うち笑みたるに
男君も、愛情をこめて、微笑んでいる

 

ことに驚かず 顔少し赤みていたるこそ おかしけれ
姫君は特に驚くことなく、顔を少し赤らめて座っているのも、おかしいものだ

 

また片身に打ちて 男をさえぞ打つめる
また女房同士互いに打ち合い、男さえも打つようだ

 

いかなる心にかあらむ
一体どういう心境なのだろう

 

泣き腹立ちつつ 人を呪い
泣いて腹を立て、打った人を呪い

 

まがまがしく言うもあるこそ おかしけれ
不吉なことを言う人もいるのも、おかしいものである

 

内わたりなどの やんごとなきも
宮中などの、高貴な所も

 

今日はみな乱れて かしこまりなし
今日はみんな乱れて、遠慮も何もあったものではない

 

第3段「正月一日は」の後半に続く>

 

 

【おまけ】

第1段「春はあけぼの」で四季折々の素晴らしさを描いた後、第3段は新春の宮中の出来事や、貴族の家での人々の振舞いへ続きます。白馬の節会を見に出かけるくだりは、視点が宮中の外にあることから、清少納言が宮仕えを始める前の頃の思い出なのでしょう。宮仕えを始める前の出来事は、この後の第33段「小白川という所は」でも取り上げられます。