よもやま茶飯事

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枕草子・第23段 すさまじきもの(第2回/全3回)

枕草子・第23段のパート2の「すさまじきもの」(興覚めするもの)は、人間にまつわるお話です。

 

枕草子・第23段 すままじきもの 第2回

 

験者(げむざ)の 物の怪 調ずとて
修験者が魔物を調伏するとして

 

いみじう したり顔に 独鈷(とこ)や数珠(じゅず)など持たせ
たいそう得意そうな顔で、独鈷(※)や数珠などを持たせて

密教で用いる仏具の一つ。中央に握り部分があり、両端は尖った形状をしている

 

 

 

せみの声に絞り出して 読み居たれど
セミのような声を絞り出し、座ってお経を読んでいるが

 

いささか去りげもなく 護法(ごほう)もつかねば
少しも魔物は退散する様子もなく、護法童子も憑座(よりまし)につかず(※)

※修験者の霊能力の一つで、仏の使いである護法童子を操ること。ここではそれが出来ないと書いています

 

集まり 居念じたるに 男も女も怪しと思うに
家中の者が集まり、座りながら念じているうちに、男も女も変だと思いはじめ

 

時の変わるまで読み 困(こう)じて
修験者は一時の時間(約2時間)が過ぎるまでお経を読み続け、疲れてしまい

 

「さらにつかず 立ちね」とて 数珠取り返して
「いっこうに(護法童子が憑座に)つかないな、立ち上がろう」と言って、(憑座から)数珠を取り返して

 

「あないと験(げん)なしや」と うち言いて
「いっこうに効果がない」と、言い放って

 

額より上(かみ)ざまに さくりあげ
額から頭の上の方へ、手をしゃくりあげ(※)

※ここは意味不審

 

欠伸(あくび) おのれよりうちして 寄り臥(ふ)しぬる
あくびを自分からして、物に寄りかかって寝てしまうのはすさまじい

 

いみじう 寝ぶたしと思うに
とても眠たいと思う時に

 

いとしも覚えぬ人の
それほど大切とも思えぬ人が

 

おし起こして せめて物言うこそ
無理に起こして、あえて話しかけるのも

 

いみじう すさまじけれ
ひどく興ざめである

 

除目(じもく)に司(つかさ)得ぬ人の家
官吏の任官が決まる会議の場で、官職を得られなかった人の家は興ざめである(※)

※ここからのお話については、文末の【おまけ】で触れています

 

今年は必ずと聞きて
今年は必ず任官されると聞いて

 

はやうありし者ども ほかほかなりつる
以前、仕えていた者たちで、あちこち他所にいる者や

 

田舎だちたる所に住む者どもなど みな集まり来て
田舎めいた所に住む者などが、みんな集まってきて

 

出(い)で入る車の轅(ながえ)に ひまなく見え
出入りする牛車の轅(※)は、すき間がないように見え

※牛車に取り付けられ、前方に突き出た2本の棒のこと。この棒の先に「くびき」という器具を取り付けて牛に車を曳かせる。現代なら「駐車場にクルマが満杯で」といったところ

 

物詣でする供に われもわれもと 参りつかうまつり
(任官を祈願する)お参りのお供に、われもわれもと、参上してお仕えし

 

物食い 酒飲み ののしり合えるに
食事をして、酒を飲み、騒ぎ合っているが

 

果つる暁まで 門(かど)叩く音もせず
任官が命じられる最後の日の明け方になっても、(任官を知らせる者による)門を叩く音もしない

 

あやしうなど 耳立てて聞けば
おかしいなぁ、などと言って、聞き耳を立てるが

 

さき追う声々などして
任官の会議の席にいた公卿たちが帰るのを先導する声があちらこちらから聞こえ

 

上達部(かんだちめ)など みな出(い)でたまいぬ
上達部(※)たちが、みんな宮中からお出になってしまう

※三位以上、または四位の参議の公卿のこと

 

物聞きに 夜より寒がり
任官の知らせを聞くため、夜より寒がりながら

 

わななき おりける下衆(げす)男
小刻みに震え、控えている下男が

 

いと物憂げに 歩み来るを
とても大儀そうに、歩いて来るのを

 

見る者どもは え問いだにも問わず
見る者たちは、問いかけようにも、問うこともできない

 

外(ほか)より来たる者などぞ
他所から来た者などは

 

「殿は何にか ならせたまいたる」など問うに
「殿はいかような官職になられのですか」などと問うのに

 

いらへには「何の前司(ぜんじ)にこそは」などぞ 必ずいらふる
応えて、「どこそこの国の前・地方官です」などと、必ず応える

 

誠に頼みける者は、いと嘆かしと思えり
本当に任官を当てにしていた者は、とても嘆かわしいと思っている

 

つとめてになりて ひまなくおりつる者ども
翌日の早朝になって、隙間もなく控えていた者たちも

 

一人二人づつ すべり出(い)でていぬ
一人二人と少しずつ、滑り出るように去ってしまう

 

ふるき者どもの さも え行き離るまじきは
古参の者たちで、そのように、去って行くのが難しい者は

 

来年の国々 手を折りて うち数えなどして
来年に任官できそうな地方の国々を、指折り数えて

 

ゆるぎ歩(あり)きたるも いとおかし すさまじげなり
あたりをウロウロ歩くのも、とてもおかしくて、興ざめである

 

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【おまけ】

この段の後半、「除目(じもく)に司(つかさ)得ぬ人の家」以降の記述は、清少納言が実家で見聞きした様子ではないかと言われています。そして任官を待っていたのは父親の清原元輔(もとすけ)です。

元輔は著名な歌人で、村上天皇の命により編纂される「後撰和歌集」の作成メンバーにも選ばれました。選者ゆえ、元輔の歌は「後撰和歌集」にありませんが、その後に編纂された「拾遺和歌集」(しゅういわかしゅう)では、49首もの和歌が採用されました。

また元輔の父である清原深養父(ふかやぶ)も「中古三十六歌仙」の一人に選ばれるほど、名の知れた歌人でした。清少納言の家系は、代々、すぐれた歌詠みを輩出してきました。

しかし元輔の歌人としての秀でた才能も、出世には結びつきませんでした。清少納言が生まれた当時は60歳近くであるにも関わらず、位は六位と低く、貴族とされる五位には至らず、「地下人」(じげじん)に留まっていました。歌を武器に熱心に上位者とのつき合いを重ね、人間関係を築き上げ、やっと五位に昇進したのは62歳の時でした。

五位に就いたことで、河内権野守という地方長官に任ぜられます。そして66歳では人事異動で山口県の周防守に就任します。この時、まだ9歳ぐらいだった清少納言は父と一緒に周防に向かったと思われます。その時の船旅の様子は第286段「うちとくまじきもの」(安心できないもの)に書かれています。

元輔は4年後には京都に戻り、70歳近い年齢にも関わらず任官活動は続きます。そして79歳という高齢で、今度は熊本県肥後守という役職を得て赴任します。

この時、清少納言は20歳ぐらいで、すでに結婚していました。高齢になっても任官を求め、仕事を続ける父の姿や、毎年のように繰り返される昇進を巡る騒動は、清少納言の目には「すさまじい」と映ったのでしょう。