よもやま茶飯事

心に浮かんだことを書き綴ります

枕草子・第22段 生いさきなく、まめやかに

枕草子・第22段は女性のキャリアについて書かれています。清少納言は、親の勧めで結婚するより、一度、宮中で仕事をしてみるのも悪くないと語ります。

 

第22段 生いさきなく、まめやかに

 

生(お)い先さきなく まめやかに
先の見込みもなく、生真面目に

 

えせ ざいわい(幸い)など 見ていたらむ人は
偽りの幸せ(※)などを、守り通そうとする人は

※ 当時の「幸い」は、現在のような心の満足感ではなく、偶然により地位や経済力に恵まれる「棚からぼたもち」のような運の良さを言う。ここでは、親に勧められるまま、偽りの「幸い」である結婚をして、家にいる女性のことを指している

 

いぶせく あなづらわしく思いやられて
私にすれば、うっとうしくて、蔑むように思われて

 

なお さりぬべからむ人の娘などは
やはり、しかるべき方の娘などは

 

さし交らわせ 世のありさまも 見せ慣らはさまほしう
宮仕えをさせ、世の中のありさまも、見せて慣れさせたいもので

 

内侍(ないし)のすけなどにて しばしも あらせばやとこそおぼゆれ
内侍(※)の次官なども、しばらく経験すればどうかと思う

※ 帝の日常生活に仕える女官たちの部署

 

宮仕えする人を あはあはしう
宮仕えする人を、軽々しく

 

悪き事に言い思いたる男などこそ いと憎けれ
劣っているように言ったり思っている男こそ、とても憎らしい

 

げに そもまたさる事ぞかし
しかし、それももっともな事である

 

かけまくも かしこき御前をはじめたてまつりて
口にするのも恐れ多い、とても尊い帝をはじめ

 

上達部(かんだちめ) 殿上人(てんじょうびと) 五位 四位はさらにも言わず
上達部(※1) 殿上人(※2) 五位 四位の人は、さらに言うまでもなく

※1 三位以上の公家
※2 清涼殿の登ることが許された官僚

 

見ぬ人は少なくこそはあらめ
こうした人たちと顔を合わせずに済む人は少ないだろう

 

女房の従者(ずざ) その里より来る者
宮仕えの女房の従者たちや、その実家より来る者たち

 

長女(おさめ) 御厠人(みかわやうど)の従者 たびしかわらと言うまで
雑用をこなす下女の長、お手洗いを掃除する者、礫瓦(※)という身分の卑しい者まで

※ 礫瓦と書いて、小石や瓦のように取るに足らない些細な物という意味とする説もあるが定かではない

 

いつかは それを恥じ隠れたりし
宮仕えをすれば、いつ、そうした者たちに相対するのを恥ずかしがって、隠れていることがあろうか、あろうはずがない

 

殿ばらなどは いとさしもや あらざらむ
男性ならば、そんな目に合わずに済むのかもしれないが

 

それも ある限りはしか さぞあらむ
それでも、宮仕えをしている限りは、そうもいくまい

 

上(うえ)など言いて かしずき すえたらむに
(宮仕えをした人を)奥方などと呼んで、大切にしている時は

 

心憎くからず覚えむ ことわりなれど
上品で奥ゆかしいと思われないのは、道理だが(※)

※ 宮仕えをしていたので、みんなに顔が知れ渡っているため奥ゆかしいとは思われないという意。当時の宮中における位の高い女性は顔を隠しているのが一般的だったが、清少納言のような女房は顔を隠さず関係者と応接した

 

また内の内侍(ないし)のすけなど言いて
また宮中の内侍の次官などと言って

 

折々内へ参り 祭りの使いなどに出(い)でたるも
折々に宮中に参内し、賀茂の祭りで行列に加わったりするのも

 

面立(おもだ)たしからずやはある
名誉でないことがあろうか(名誉なことに決まっている)

 

さて籠(こ)もりいぬるは まいてめでたし
そうして宮仕えの経験をした後、家庭に収まるのは、ましてやとてもすばらしい

 

受領(ずりょう)の五節(ごせち)出(い)だす折など
夫である受領(※1)が五節(※2)の日に舞姫たちを披露する折など

※1 地方官の最高職
※2 宮中儀式の一つで、新嘗祭大嘗祭の前後に行われる舞

 

いとひなび 言い知らぬ事など人に問い聞きなどはせじかし
(奥方が宮仕えをした人であれば)ひどく田舎っぽく、話にもらなぬ事を人に尋ねたりしまい(※)

※ 宮仕えをしたことのある奥方であれば、五節の舞姫の基本的なしきたりや習わしを人に質問したりしなくて済む

 

心にくきものなり
奥ゆかしいものである

 

枕草子・第22段 生いさきなく、まめやかに 了>

 

 

【おまけ】
この段で清少納言は、しかるべき家の娘は宮中という社会に出て、何事も経験するのがよいと書いています。今で言えば女性の社会進出を勧める内容と言えそうです。そして、親に勧められるまま結婚するのは「えせ幸い」(偽りの幸せ)であるとしています。親同士の話でまとまる結婚相手は、互いの身分相応になり、それは「幸い」という玉の輿ではないからです。

清少納言の身近にいてこの「幸い」を得た人の一人が、中宮・定子(ていし)の母である高階貴子(きし)です。あまり身分の高い家柄でなかったものの、宮仕えをしている時に、権力者の藤原道隆の目に止まり、正妻の座を射止めます。宮仕えをしていると、こうした思いもかけない幸運が舞い込むかもしれないという訳です。

また宮仕えをするような女性は軽薄だなど言う男は憎らしいが、それももっともだと書いています。玉の輿に乗る機会はあるものの、逆に遊び相手にされ、その後、捨てられることも多いのが宮仕えの女性の定めでした。

宮仕えをするとリスクもあるけどチャンスもある、学ぶことも多いし、都のセンスも身につく。宮仕えの後、家庭に収まれば、地方暮らしをしていても奥ゆかしくて、すばらしい・・・何だか現代にも通じるお話です