よもやま茶飯事

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枕草子・第23段 すさまじきもの(第1回/全3回)

枕草子・第23段は「すさまじきもの」。不調和で興覚めするものがテーマです。ミスマッチや場違い、期待はずれといった出来事が描かれます。

 

第23段 すさまじきもの (第1回/全3回)

すさまじきもの
不調和で興ざめするもの

 

昼ほゆる犬 春の網代あじろ) 三四月の紅梅の衣(きぬ
昼間に吠える犬、春の網代(※1)、3月や4月の紅梅(※2)の衣服

※1 魚を獲る仕掛けの一つ。冬に竹または木を組み並べ、網を引く形に川の瀬に仕掛けて、端に簀(す)を取り付ける。冬の風物詩なのに、春になっても残されているのが「すさまじきもの」

※2 衣服を重ねて着る際の色の組み合わせの一つで、表が紅、裏が紫。1月・2月に着用する。これも季節はずれの衣装が「すさまじきもの」

 

牛死にたる牛飼い 稚児(ちご)亡くなりたる産屋(うぶや) 
飼っている牛が死んだ牛飼い、乳呑児が亡くなった産屋

 

火おこさぬ炭櫃(すびつ) 地火炉(じくわろ)
火を起こさない火鉢(※)や いろり

※文末の「おまけ」参照

 

博士の打ち続き女児(おんなご)生ませたる
博士の職(※)にある者が続けて女の子をもうけていること

律令制で、諸官司にあって学生(がくしよう)の教育に従事した官職。大学寮に明経・明法・紀伝・算・音・書、陰陽寮に陰陽・暦・天文・漏刻、典薬寮に医・針・呪禁・按摩の各博士が置かれ、また大宰府・諸国にも明法博士や国博士が置かれていた。世襲制だが、女子では後が継げない。

 

方違へ(かたたがえ※)に行きたるに 主(あるじ)せぬ所
不吉な方角へ向かうのを避けるため、一時的に住まいを変えた際に、もてなしをしない所

陰陽道の風習で、出かける方角が不吉な時、遠回りして方角を変えて出発した習い

 

まいて節分(せちぶん)などは いとすさまじ
まして節分ともなれば、とても興ざめである(※)

立春立夏立秋立冬という季節の変わり目の前日が節分で、この日には方違えをする習慣があった。せっかく節分の日に方違えをしたのに、もてなしがないことを興ざめとしている

 

人の国より起こせたる文の物なき
京都以外の地方から寄こした手紙に贈り物がないもの

 

京のをも さこそ思ふらめ
地方の人は京都から来た手紙にも贈り物がないと思うだろうが

 

されど それはゆかしき事どもをも書き集め
しかし、都からの手紙には誰でも見聞きしたい事などが書き集められていて

 

世にある事などをも聞けば いとよし
世の出来事もわかるのだから、贈り物などはなくてもよい(※)

※文化の最先端にある都からの手紙には、贈り物に匹敵する情報があるという趣旨

 

人のもとにわざと清げに書きて
人のもとへわざと気品よく手紙を書いて

 

やりつる文の返事(かえりごと)
送った手紙の返事を

 

今はもて来(き)ぬらむかし あやしう遅きと 待つほどに
今頃はもう手紙を持たせた者が帰って来ることだろう、それにしてもひどく遅いものだ、と待っていると

 

ありつる文 立て文をも 結びたるをも 
帰って来た使いの者は、先ほどの手紙を立て文(※)にして結んであるのも

※手紙を包み、上下を折った正式の書状

 

いと汚なげに取りなし ふくだめて
とても汚く取り扱って、ぶよぶよにして

 

上に引きたりつる墨など消えて
手紙の上に引いた墨は消えて

 

「おはしまさせざりけり」 もしは「御物忌(ものいみ)とて取り入れず」と言いて
先方は「おいでになりません」、もしくは「日にちが悪いということで受け取りになりません」と言って

 

持て帰りたる いとわびしく すさまじ
手紙を持って帰るのは、とてもがっかりして、興ざめしてしまう

 

また必ず来(く)べき人のもとに 車をやりて待つに
また必ず来るはず人のもとへ、牛車を迎えにやらせて待っていると

 

来る音すれば さななりと
牛車が入ってくる音がするので、おいでになったのだろうと

 

人々出(い)でて見るに 車宿りに さらに引き入れて
人々が出て見ると、使いの者は牛車を車庫に引き入れて

 

轅(ながえ)ほうと打ち降ろすを 「いかにぞ」と問えば
牛を繋ぐ柄をポンと降ろすのを、「どうしたのか」と問えば

 

「今日(けふ)は外(ほか)へおはしますとて 渡りたまわず」など うち言いて
「今日は他へお出かけになるということで、こちらへお越しになりません」と、無造作に言って

 

牛の飾り引き出(い)でて いぬる
牛を引き出して帰っていく(※)

※わかりにくいため、「能因本」の『牛の限り引き出でて いぬる』に基づく訳とする

 

また家の内なる男君の来ずなりぬる いとすさまじ
また家に迎え入れた婿君が来なくなってしまうのは、とても興ざめ

※当時の婚姻生活は、夫が妻の家に通ってくるのが一般的

 

さるべき人の宮仕えするがり やりて
然るべき身分のある人で、宮仕えをする女性に婿を奪われて

 

恥ずかしと思いいたるも いとあいなし
残された妻が恥ずかしく思うのも、とても興ざめである

 

稚児(ちご)の乳母(めのと)の ただあからさまにとて 出(い)でぬるほど
乳呑児の乳母が、ほんのちょっと出かけてきますと言って出かけている間

 

とかくなぐさめて
乳呑児をなんとか遊ばせて機嫌をとって

 

「とく来(こ)」と言いやりたるに
「(乳母に)早く帰るように」と使いの者に伝えさせたところ

 

「今宵は え参るまじ」とて 返し起せたるは
(乳母が)「今宵は、帰れそうもありません」と、返事を寄こしてくるのは

 

すさまじきのみならず いと憎く わりなし
興ざめだけではなく、とても憎らしのだが、どうしようもない

 

女 迎ふる男 まいていかならむ
愛人の女性を迎える男が、ましてやこんな目にあったらどうだろう(※)

※当時は男性が女性のところへ通うのが一般的だったが、特別の事情があるときは、男性が女性を迎えることもあった

 

待つ人ある所に 夜(よ)少し更けて
待つ人がいる女の所へ、夜が少し更けて

 

忍びやかに門(かど)叩けば
人目をはばかるように門を叩くと

 

胸少しつぶれて 人出(い)だして問わするに
胸が少しどきりとして、使いの者を出して尋ねさせると

 

あらぬ よしなき者の 名乗りして来たるも
見当ちがいの、つまらぬ者が、名乗って乗ってやって来るのも

 

返す返すも すさまじと言うは愚かなり
返す返すも、興ざめというのも通り一遍過ぎるほどの興ざめである

 

第2回は ↓ より

yomoyamasahanji.hatenablog.com

 

 

【おまけ】

鴨長明は「無名抄」の中で、この箇所を念頭に置いたと思われるエピソードを綴っています。それは兄あるいは弟である鴨長守から聞いた次のような話です。

鴨長守が自らを称して次のような和歌を詠みます。「火おこさぬ夏の炭櫃の心地して 人もすさめず すさまじの身や」(我が身は火の起こっていない夏の炭櫃のように、人からも相手にされない何とも興ざめであることよ)

すると側にいた12歳の少女が、「冬の炭櫃こそ火の無きは今少しすさまじけれ。など、さは詠み給はぬぞ」(夏ではなく、冬の炭櫃に火がない方が、もっと興ざめで、すさまじさが感じられます。どうしてそのように詠まなかったのですか)と返してきます。

それに対して私はなんとも答えようがなかったというのが、とても面白かったというものです。

鴨長明の生きた平安末期から鎌倉時代の初期には、「枕草子」が広く読まれていた証と言えそうです。鎌倉時代の後期の吉田兼好も「徒然草」の第19段で、「枕草子」について触れています。