よもやま茶飯事

心に浮かんだことを書き綴ります

世渡り上手と世渡り下手

旧聞に属する話だが、ある大企業に勤める知人がこんな話をしていた。「ウチの会社、ずっと業績悪いだろ。なぜだと思う? それは仕事をしない人が社長になるから」

 

仕事をする人は社内で煙たがれ、敵を作ってしまい、やがて左遷されたり、関連会社に出向させられてしまう。その結果、仕事をしない人が出世レースで生き残り、社長になるという話だった。

 

中小企業に勤めていた私は、「そんなものか」と驚いた記憶がある。確かに業績の低迷が長期間続いていると、会社の中には「このままじゃダメだ」「もっとこうしよう」と唱える人たちが現れる。こうした改革の必要性を説く人たちは、今までの仕事の中身や進め方、仕事の存在自体すら見直そうとする。

 

すると社内には、今の自分のポストが危うくなってくる人や、仕事が無くなってしまうかもしれない部署が出てくる。そこで改革に反対する勢力は現状を維持するため、あれやこれやの手を尽くし、改革派の人達の追い落としを画策する。

 

社内抗争の結果、どちらの勢力にも加担せず、小田原評定を決め込んだ人が生き残り、社長に就任する。こうして社長になった人は、社内の対立が鮮明になるのを避けるため、何事も決めることなく先送りを続け、経営不振はますます長期化する。

 

 

会議室の写真

 

 

同じような話は人間にもあてはまる。対立を避け無難な生き方をして出世する人は、一般的に「世渡り上手」と称される。仕事とは大上段に構えず向き合い、時には「暖簾に腕押し」「柳に風」「糠に釘」といったスタンスで、「長い物には巻かれよ」という生き方を心掛けている。

 

逆に「世渡り下手」なのは、「〇〇であらねばならない」とか、「〇〇すべきである」「〇〇は避けねばならぬ」といったように、クソ真面目に物事に向き合い、自分の意見や考えに強いこだわりがある(ちなみに私は典型的な「世渡り下手」)。融通が利かず、正義正論を唱えるため、何かとぶつかりがちだ。

 

「世渡り上手」から見ると、「世渡り下手」はあえて艱難辛苦な道を選び、自ら貧乏クジを引いているように見えるだろう。逆に「世渡り下手」から見れば、「世渡り上手」には熱意が感じられず、打ち込み度に欠け、楽な道を選んでいるように映ってしまう。

 

それでも「世渡り下手」は、結果の如何に関わらず、後悔の念に苛まれることが少ないのがせめてもの救いだろう。自分の信じた道を選んだので、仮に上手くいかなくても、自分の力量がそのレベルだったという話で、諦観の域に達したような心境に至る。

 

「世渡り下手」は少し回り道はするものの、人生の最後には「世渡り上手」と同じように、執着がなくなるのかもしれない。