よもやま茶飯事

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『ガウディの伝言』 外尾悦郎・著を読んで

サグラダ・ファミリアはスペイン、バルセロナで建設中の教会だ。サグラダ・ファミリアという教会は見たり聞いたりする度に疑問が湧き上がる。

 

建設が始まって140年も経過しているのはなぜなのか、そして一体いつ完成するのか、施主は完成が遅れて文句を言わないのか、建設資金はどうやって賄っているのか、図面がないと言われる中でどうやって建設を続けているのか、なぜこんな不思議なデザインや装飾なのか・・・

 

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現在の塔の中央に最も高い「イエスの塔」が建設される予定

 

ネットで調べればある程度の疑問は解消されるが、わからないこともある。設計者のガウディはサグラダ・ファミリアで表現したかったのは何なのか、何を託し、何を伝えたかったのか・・・

 

その疑問に答えてくれるのが本書の著者、外尾悦郎さんだ。25歳でスペインに渡って、足掛け40年以上、サグラダ・ファミリアで石を彫り続け、今は主任彫刻家としてサグラダ・ファミリアの彫刻と内部装飾の責任者の地位にある。ここでまた疑問が湧く。なぜ、日本人がサグラダ・ファミリアの重要な部門の責任者を務めているのか?

 

何のあてもないままサグラダ・ファミリアにやって来た外尾さんは、なんとか下っ端の仕事にありつける。やがて一人の石工としてひたすら無心で石と向き合い彫り続ける中で、サグラダ・ファミリアの構造が彫刻を引き立て、彫刻もまた構造を強くする設計になっていることに気がついた。

 

そして生前のガウディが唯一、内部空間を完成させていた「ロザリオの間」の修復を手掛けながら、ガウディは機能とデザイン(構造)、そして象徴を一つとして捉え、それらを同時に成り立たせようとしていることが見えてきた。

 

サグラダ・ファミリアの内部構造の多くは双極曲線や放物曲線、基準数値、懸垂曲線などの幾何学に基づいた明確な秩序を持っている。これらにキリスト教の精神が加わっているのがサグラダ・ファミリアだ。

 

ガウディは自然を神からのメッセージとして、色や形によって読み取ろうとした。そして「人間は何も創造しない、ただ発見するだけだ」と語り、「独創とは創造の起源に還ること」であると述べ、建物を自然に還すことを目指していた。

 

建物を神が創造した自然につけ加えるように作り、自然に人間が作ったものをつけ加えることで、自然の機能と美を豊かにし、神の創造に寄与しようとした。

 

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 外尾さんによれば、スペインでは日本がぬるま湯に思えるほど、良い仕事を自分のものにして、社会の中で自分の居場所を確保するには大変なエネルギーがいる。ガウディはそうしたエネルギーはすべて制作にあて、いかなるアカデミーとも交わらず、社会の中で自分を守る術を持たなかった。そのため成功する以上に多くの挫折を経験し、助けてくれる人に倍する敵を作って来た。

 

失意や挫折、苦悩を抱え、孤独と向き合いながらサグラダ・ファミリアの建設を進めるガウディが、キリスト教への信仰心を強めるのは自然の流れだったのだろう。そして外尾さんもスペイン内戦で破壊されたサグラダ・ファミリアの修復と再建に携わりながら、洗礼を受けカトリック信者になった。

 

外尾さんによれば、犠牲を喜びに変えていける知恵に気づかせようとしたのがサグラダ・ファミリアの思想であり、それはものを作る時の精神にも通じる。

 

そして人間にとっての幸せとは、どれだけ何かを愛し、自分でない者のために生きられるかであり、現在持っているものより、未来への希望をどれだけ持っているかにかかっている。サグラダ・ファミリアの完成も未来への希望の一つなのかもしれない。

 

私達は著者の語りを通じてガウディという人物に近づくことができる。それはちょうど、ガウディがサグラダ・ファミリアを通じて神の側に近づこうとしてたのと重なり合う。

 

外尾さんは「自分はガウディに近づくことはできないが、ガウディの見ていたものを一緒に見て、行こうとしていた方向に一緒に行こう」という想いを抱き、70歳を前に今もサグラダ・ファミリア建設の現場に立つ。完成の目標は2026年だ。

 

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