よもやま茶飯事

心に浮かんだことを書き綴ります

「おそめ」という本を読んで

私はお酒はたしなむ程度で、接待したりされたりする機会もあまりない。そんな私でも先輩諸氏から、高級クラブの先駆けとも言える店が京都にあったという話を聞いた記憶がある。

 

店の名前はすっかり忘れていたが、ある日、書店の本棚を眺めていると、偶然、その店と思しき名前のタイトルが目に入った。手にしてみると、その店は「おそめ」と言い、オーナーは上羽秀(うえばひで)という女性であることを知った。本書は上羽秀という人物の生誕から晩年までの足跡を辿ったドキュメンタリーだ。

 

上羽秀は大正12年に京都に生まれる。幼い頃からの夢は舞妓になることだった。尋常小学校を卒業後、12歳で東京・新橋の花街で修行の道に入る。京都ではなく、東京を選んだのは母親・よしゑの意向による。

 

3年後、その母親の頼みにより秀は京都に戻り、芸妓「そめ」としてのデビューする。お座敷に上がるや否や、超売れっ子になる。あまりの人気ぶりに、常連客でさえ秀をお座敷に呼べないこともままあった。そのため常連客たちにより「おそめを見る会」なるものが発足し、客が一堂に会した場に秀が呼ばれるほどであった。この人気ぶりは終生変わることがなく、それが「おそめ」という店を一躍頂点に押し上げてゆく。

 

一体なぜ、秀はこれほど人気を博したのか・・・

 

白い肌に、つややかな黒髪、容姿端麗なのはもちろん、客あしらい・客さばきに長けているのに加え、妹の掬子(きくこ)によれば、とにかく雰囲気が独特だったと言う。人によっては後光が差しているようだったと語る。今風の表現をすればオーラを纏っていたというところだろうか。

 

稀代の目利きと称された白洲正子は、輝くばかりに美しく、平安絵巻から抜け出た白拍子か巫女のように見えたと評し、正子の師匠でもある青山二郎は、でっぷりとして品がよく、シッカリしてハイカラ、吸い寄せられるような魅力があり、焼き物で言えば織部の傑作だと評している。

 

確かに水商売をされている人の中には、こうした種類の人がいる。その場にいるだけで、場の雰囲気が華やかになったり和んだりする。話し方や仕草、表情などが人を惹きつけ、虜にしてしまう天賦の才を持ち合わせているのだろう。

 

ただ「天は二物を与えず」のことわざ通り、秀には持ち合わせていない所も多々あった。相手の気持ちを斟酌することが上手く出来ず、妬みを招き、誹りを受ける。配慮を欠いたような言動により、しなくてもよい苦労を背負い込むことになる。店の経営は人任せで、稼いだお金はすべて周りの人への心付けやチップで使ってしまう。物に対して執着がなく、人に対しては目が行き届きかないとも言えた。

 

そうした至らない点や脇が甘く危ういようなところが客を魅了した。客からすれば秀の計算や裏腹のなさが酒を美味くさせ、秀も客と時を過ごすことが楽しく、自分が遊ばしてもらっているようだと語っている。

 

昭和23年、贔屓の旦那に見受けされ芸妓を引退していた秀は自宅の一部を改装し、自分の店を出す。店の名前は「おそめ」。ここにも客が押し寄せ、小さな店はいつも満席になり、入店を待つ客の行列が出来た。客の中には仕事で東京から京都に立ち寄った作家や編集者、映画や芸能関係者も多かった。いつしか「おそめ」はいわゆる「文壇バー」の先駆けになってゆく。

 

そして昭和30年には、東京・銀座にも「おそめ」を出店する。女でありながら京都と東京に店を持ち、飛行機で頻繁に行き交う姿は人目を引き、雑誌や週刊誌で「空飛ぶマダム」として紹介されたりした。

 

秀は銀座に店を出したことで、「おそめ」と同じ客層を相手にしていた「エスポワール」のマダム、川辺るみ子と激しく競い合う。見た目も性格も好対照な秀と川辺の対立は週刊誌の格好のネタになり、さらに小説の題材になり、映画化もされた。こうした話題性がさらに客を呼び寄せ、「おそめ」は全盛期を迎える。昭和35年には手狭になった京都の自宅兼店舗を手放し、御池に2階建ての大型ビル「おそめ会館」を建設、そこでの営業を始めた。

 

しかし栄枯盛衰の習いに従い、やがて「おそめ」は凋落してゆく。昭和40年頃には、おそめ会館のフロアの一部の閉鎖が始まり、昭和53年には銀座の店も閉店される。日本経済の成長と共に、繁華街には企業資本が流れ込み、夜の店に訪れる客層が変わり、店の主役はマダムからホステスに移った。「おそめ」はそうした環境の変化についていけなかった。著者は店を閉めた後の秀の生活や暮らしぶりも取り上げている。

 

本書では秀を中心に物語は進みつつ、時折、家族や関わりのある人たちも紹介してゆく。中でも内縁の夫、俊藤浩滋については紙面の多くを割いている。「おそめ」の閉店と時を合わせるように、それまで「おそめ」の裏方だった俊藤の映画プロデューサーとしての活躍が始まる。2人は日向と日陰を交代したかのようだ。

 

そんな折、著者は秀と出会い、本書の執筆を始める。おそらく著者も芸妓「そめ」に魅せられてしまった一人なのだろう。取材のために東京から何度も京都を訪ねる様は、かつて「おそめ」に通い続けた常連客と瓜二つだ。

 

膨大な取材と関係者のインタビューによって、一時代を築き、時代の流れに飲み込まれた伝説の店と、それを良しとするマダムの人生が記録として残り、後世の人たちも歴史の一コマに立ち会えるのは僥倖と言えるのかもしれない。

 

 

石井妙子著 おそめ

 

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