よもやま茶飯事

心に浮かんだことを書き綴ります

「極上の孤独」を読んで

作家の五木寛之さんが週刊誌のコラムでこんな事を書いていた。「孤独は嫌いではないが、孤立はしたくない気持ちがある」

 

本書の著者の下重暁子(しもじゅう・あきこ)さんも、人々を拒絶するのではなく(=孤立するのではなく)、受け入れながら孤(独)を守り、自由であることを目指したいと語っている。

 

なるほどねぇと、考えてしまった。孤独についてあまり深く考えたことがなかった自分に気がついた。

 

下重さんは本書で、孤独を巡る数々の誤解を解き、孤独の効用を思う存分、語っている。そして孤独で生きるために必要な時間の使い方や処世術を説く。

 

孤独にまつわる自らのことや、知人・友人のこと、見かけた人や出会った人、元NHKのアナウンサーらしく芸能人とのエピソードもある。

 

下重さんは子供の頃に病で長期間の療養を余儀なくされたこともあり、孤独は近しい友達であり、心地のよいものだった。そしてこう語る。

 

「一人の時間を孤独だと捉えず、自分と対面する時間だと思えば、汲めども尽きぬ、本当の自分を知ることになる、そうすれば生き方が自ずと見えてくる」

 

「孤独ほど贅沢な愉楽はない、誰にも邪魔されない自由もある。群れず、媚びず、自分の姿勢を貫く。すると内側から品が出てくる。そんな成熟した人間だけが到達できる境地が孤独なのだ」

 


孤独で生きていれば、他人と比べる事もなく、人の目を気にせず、誰かに依存したり期待せずに済む。型にはまらず生きる自由があり、それが自分らしさにつながる。

 

孤立をしないようにしながら、孤独を受け入れる、あるいは孤独と折り合いをつけることが肝要なのかもしれない。それは決して負け惜しみや強がりではないだろう。

 

誰にでも第一線、現役を退く時が来るし、予期せぬ出来事で人生の進路変更を余儀なくされる時もある。親や恋人、身近な人との別れは避けられない。

 

そんな時でも、自分を見失わずにいるためには孤独が欠かせない。なぜなら下重さん曰く、孤独を知らない人は個性的になれず、「個」が育たない。孤独の「孤」は個性の「個」であり、孤育ては個育てでもある。

 

また孤独であることが、いい出会いにつながることもある。そのためにも孤=個を育てておくことが大切だ。せっかく「個」を育てても、人と群れる、人の真似をする、仲間はずれを恐れる、物事に執着していると、「個」が失われてしまう。

 

相手に迎合しても本当の友人は現れない。あなたが他人を気にかけないように、他の誰か、家族ですらあなたを気にかけないのが現実だ。

 

下重さんはある時から人付き合いの方針を「来る者は拒まず、去る者は追わず」に変えたそうだ。そうすると残ったのはみんな孤独を知った人ばかりになった。

 

そして、同じような感性を持っている人と話をしていると一人の時間で考えたこと、感じたことが、火花を散らす瞬間がある、そんな時は不思議な満ち足りた気持ちになると語っている。

 

下重さんによれば「孤独」と「寂しい」とは違う。寂しいは一時の感情であり、何も産まないが、孤独はそれを突き抜けた、一人で生きていく覚悟である。

 

孤独はみじめなんかじゃなく、みじめと思うことが問題なのだ。孤独とは一人でいることではなく、生きる姿勢なのである。

 

「誰かが助けてくれるのを待っていたり、環境が変わるのを期待してはいけない。自分でできる方法を自分で考える。そのためにも独りの時間が大事である」

 

 

 

極上の孤独

極上の孤独」 下重暁子・著
幻冬舎新書 税別本体価格780円