よもやま茶飯事

心に浮かんだことを書き綴ります

枕草子 第5段 思わむ子を法師になしたらむこそ

枕草子の第5段は法師について書かれています。清少納言が捉えた当時の僧侶とは、どのような存在だったのでしょう

 

思わむ子を法師になしたらむこそ

思わむ子を 法師になしたらむこそ 心苦しけれ
かわいい子を、僧にするのは、心苦しいものである

 

ただ木の端などのように思いたるこそ いと いとほしけれ
世の人々は法師を、情とは縁のない、ただの木の端のように見ているのは、とても気の毒である

 

精進物のいと悪(あ)しきをうち食い 寝(い)ぬるをも
(法師は)精進料理の粗末なものを食し、寝る際にもやかましく言われる

 

若きは 物もゆかしからむ
若い法師なら、いろいろな物にも心が惹かれるであろう

 

女などのある所をも などか忌みたるように 差し覗かずもあらむ
女性などがいる所も、毛嫌いしているかのように、覗かずに済ますなんて真似はできないだろう

 

それをも安からず言う
だが世間の人たちは、それを穏やかでないように言う

 

まして験者(げんざ)などは いと苦しげなめり
まして修験者などは、とても苦しそうである(※)

※能因本には、この次に末尾の【注】に記した修験者の修行についての記述がある

 

困(こう)じて うち眠ぶれば
(依頼を受けた祈祷の場で)疲れて、ついつい眠ってしまうと

 

「眠ぶりをのみして」など もどかる 
(祈祷をお願いした人が)「眠ってばかりいて」などと、責めるのも

 

いと所せく いかに覚ゆらむ
とても窮屈なことで、当人は一体どう思っているのだろう

 

これは昔の事なめり 今はいと安げなり
しかし、こうした事は昔の話のようで、今の法師は結構、気楽そうである

 

<三巻本・枕草子 第5段 了>

 

 

【注】能因本の記述は以下の通り
御嶽(みたけ) 熊野 かからぬ山なく 
(修験者は)御嶽(※)や熊野の足跡の及ばぬ山も

※ 吉野の金峰山

 

歩(あり)くほどに 恐ろしき目も見
歩き回るうちに、恐ろしい目にも会い

 

印(しるし)あり 聞こえ出(い)で来ぬれば
やがて御利益があり、自然に評判となってくれば

 

ここかしこに呼ばれ
あちらこちらに祈祷の依頼で呼ばれ

 

時めくにつけて 安げもなし
羽振りがよくなるにつれ、気楽そうでもなくなる

 

いたく患う人にかかりて 
とても重い病を患う人に関わって

 

物の怪 調ずるも いと苦しければ
物の怪を退治するもの、とても苦しく

 

【おまけ】

宗教の道には厳しい修行がつきもので、そんな道に進んだ人たちに対する同情が綴られています。ところが清少納言は最後にそうした話は昔のことで、今の法師は気楽に暮らしていると書いています。

この頃から一部の宗教・宗派は道を極めるものとは縁遠くなっていたのかもしれません。第33段の「小白川といふ所は」では、仏教の法会が人気のイベントであった様子が描かれます。

 

【おまけのおまけ】

この段は、「徒然草」の第1段でも取り上げられています。そこでは、兼好法師は次のように書いています。

 

法師ばかり 羨ましからぬ者はあらじ
「人には木の端のように思わるるよ」と
清少納言が書けるも げにさることぞかし


法師ほど、うらやましくない者はあるまい
「人には木の端のように思われるもの」と
清少納言が書いているのも、もっともなことである

 

枕草子」は書かれてから長い間、日の目を見ることがありませんでした。約300年経って、兼好法師が「徒然草」の冒頭で、この段を取り上げたことで表舞台に登場します。

そして江戸時代になり、「徒然草」が広く読まれるに連れ、「枕草子」にも注目が集まり、注釈書や解説書が書かれ、ようやく一般の人たちも手にするようになります。

もし兼好法師が「枕草子」を取り上げていなければ、「枕草子」は今もどこかの蔵で眠り続けていたかもしれません。