よもやま茶飯事

心に浮かんだことを書き綴ります

新人作家が直面する過酷な現実

普段、あまり邦画は観ないのだが、たまたまTVで 「阿弥陀堂便り」 という映画を放送していたので、なんとなく観ていた。

 

阿弥陀堂だより

阿弥陀堂だより

 

主人公は、そろそろ中年と呼ばれる年代に差し掛かった夫婦で、夫役が寺尾聰さん、その妻役が樋口可南子さん。妻は医師で勤務医をしていたが、心の病で退職。売れない作家の夫と一緒に、夫の故郷である信州の小さな村で新しい生活を始める。

 

40代ともなると、今の仕事を続けていると、この先どうなるのかがある程度、見えてくる。先行きがあまり明るくなければ、キャリアチェンジも脳裏をよぎる、そんな年代だ。

 

映画では特別、何か大きな事件や出来事が起きることはないが、美しい自然の移ろいと、人の命の移りゆくさまが丹念に描かれている。心が疲れている人や、進むべき方向に悩んでいる人、打ち込めるものが見つからず不完全燃焼しているという人には、何か訴えてくるものがあるのではないだろうか

 

邦画の特徴でもある、文脈に込められたニュアンスを観る側が読み取るという仕上がりになっている。そのため、役者さんのちょっとしたセリフに心を打たれる場面も、観る側の人それぞれによって違ってくるような気配を感じさせる、そんな映画だった。

 

ところで、この映画の主人公の夫は 売れない作家 という設定だ。10年くらい前に新人賞を受賞したものの、その後は鳴かず飛ばずの状態が続いている。

 

こうした設定は現実によくある話らしい。記憶が定かでないが、確か作家の森博嗣さんだったと思うのだが、ラジオでそんな話をされていたのを覚えている。

 

その時の話は、最近は作家になりたいという人が非常に多いが、作家になるのは大変な上、作家であり続けることはもっと大変、といった内容だった。

 

作家志望の人がめでたく新人賞を取ると、出版社から執筆依頼が舞い込む。ここで立て続けに質の高い作品を出し続ける必要がある。しかも作品の内容やテーマは掲載される媒体の読者を想定したものに限定される上、締切りもある。

 

描く作品の題材と時間が限られた中で、編集者と読者の双方から一定以上の評価を得なければならない。賞を受賞する前なら、自分の書きたい分野のことを、時間を気にせず執筆できたのとは状況が全く違う。「先生の書きたい内容で、時間も問いません」といった執筆依頼をされるのは、誰でも名前を知っている一握りの大物作家だけだ。

 

文壇デビュー直後という作家としての旬の時期に、限られた制約の条件の下で、それなりのヒット作が連発できないと、数年後、さっぱり仕事の依頼が来なくなる。出版社にしてみれば、試しに数点、依頼をしてみたものの、出来もいま一つだし、読者の反応もあまり良くないとなれば、翌年の新人賞の受賞作家に発注を切り替えてしまう。毎年、毎年、新人作家は誕生してくるから、出版社は発注先がなくて困ることはない。

 

そのため苦労して新人賞を取っても、その後に続く量産という壁を越えられず、消えてゆく新人作家もたくさんいる。だから、作家になるのはとても大変、だけど作家として生き残るのはもっと大変というわけだ。

 

作家稼業も会社員と同じように楽ではないようだ。