よもやま茶飯事

心に浮かんだことを書き綴ります

枕草子・第21段 清涼殿の丑寅の隅の 第3回

第2回の段では、中宮・定子は一条天皇の御前で女房たちに対し、今すぐ思いつく和歌を書くように命じていました。その後、この第3回の段では、和歌の上の句を読み上げ、その続きを答えるようにという試験を始めます。

清少納言たち女房は帝の御前ということもあり、緊張して誰も満足に答えることができません。そんな様子を見て、定子は一条天皇の祖父である村上天皇とその女御のエピソードを語り始めます。

 

清涼殿の丑寅の隅の (3/4)

 

古今の草子を御前に置かせたまいて
中宮さまは、古今集の本を手元にお置きあそばされて

 

歌どもの本(もと)を仰せられて
いろいろな歌の上の句を仰せになり

 

「これが末(すえ)いかに」と 問わせたまうに
「この歌の下の句は?」と、お問いあそばすのに

 

すべて夜昼 心にかかりて おぼゆるもあるが
連日、夜も昼も、念頭にあって、自然に浮かんでくる句が

 

け清(ぎよ)う 申し出(い)でられぬは いかなるぞ
まったく申しあげられないのは、どうした事か

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枕草子・第21段 清涼殿の丑寅の隅の 第2回

のどかな春の日、宮中には帝である一条天皇、后である中宮・定子とその兄、藤原伊周という「中の関白家」の主だったメンバーが顔を揃えています。

 

帝が昼の食事を済まされ、戻ってこられたのを見計らって、中宮・定子はそばに控える女房たちにある課題を与えます。まだ新人の女房だった清少納言は、見たこともないような眼前の光景にすっかり舞い上がっているようです。

第1回はこちら

 

第21段 清涼殿の丑寅の隅の (2/4)

陪膳(はいぜん)つかうまつる人の
帝の食事の給仕をおおせつかる殿上人が

 

おのこどもなど 召すほどもなく 渡らせたまいぬ
ご膳を下げる男の人たちなどを、お召しになるかならないうちに、帝はこちらへお越しあそばされてしまった

 

「御硯の墨すれ」と仰せらるるに
中宮さまが「硯の墨を摺りなさい」と仰せになるが

 

目は空にて ただおはしますをのみ 見たてまつれば
私の視線は上の空で、ただ帝のおいであそばすご様子だけを、拝していたので

 

ほとど 継ぎ目も離ちつべし
あやうく、墨をはさんでいる継ぎ目も離してしまいそうになる

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枕草子・第21段 清涼殿の丑寅の隅の 第1回

この段の出来事は994年頃とされています。ちょうど清少納言が宮仕えを始めて1年経つかどうかという時期です。この時期、清少納言が仕えた中宮・定子の父、藤原道隆の「中の関白家」は全盛期を迎えつつあります。

 

この段はとても長いため、4回に分けてお届けします

 

第21段 清涼殿の丑寅の隅の (1/4)

清涼殿の丑寅(うしとら)の隅の 北の隔てなる御障子(みしょうじ)には
帝の御殿・清涼殿の東北の方角の隅の、北の隔ての襖障子には

 

荒海のかた 生きたる物どもの 恐ろしげなる
荒海の絵、生きている物どもの、恐ろしい様子の

 

手長足長(てなが・あしなが)などをぞ 書きたる
手長足長(※)などが、描かれている

※古代中国の想像上の生き物とされる

 

上の御局(つぼね)の戸 押し開けたれば
弘徽殿(こきでん)の上の御局(※)の戸を、押し開けていると

※清涼殿(下図⑤)に2つある皇后や女御たちの控えの間の一つ(下図⑪)。もう一つは「藤壺の上の御局」(下図③)

 

 

常に目に見ゆるを 憎みなどして笑う
(私たち女房は)手長足長の絵がいつも目に入るのを、嫌がったりして笑っている

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徒然草 第10段 家居のつきづきしく

徒然草・第10段は住まいと暮らしぶりについて書かれています。自然にあれこれ手を入れるのを諫めています。

 

第10段 家居のつきづきしく

 

家居(いえい)の つきづきしく あらまほしきこそ 
住まいがその人にとって似つかわしくて、望ましいのは

 

仮の宿りとは思えど 興(きょう)あるものなれ
世における仮の宿とはいえ(※)、心をひきつける

※住居は現世における仮の住まいのようなものとする考え

 

よき人の のどやかに住みなしたる所は
品格・教養のある人が、ゆったりと住み暮らしている所は

 

差し入りたる月の色も ひときわ しみじみと見ゆるぞかし
差し込む月の光も、ひときわ心に染み入るように見えるものだ

 

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ガン保険に入りました

これまでガン保険も含めて医療保険は入る意味があまりないと思っていた。日本では公的医療保険がある程度のレベルで整備されているし、仮に自己負担額が重くなっても 高額療養費制度によって自己負担の上限が定められているから、あえて民間の保険で備える必要もないだろうと考えていた。

 

しかし、「ヒトはなぜ「がん」になるのか」という本を読んで考えが変わった。公的医療保険があっても、「がん」については別扱いにした方が良さそうだ。

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読書メモ 『ヒトはなぜ「がん」になるのか』

人類にとっての最大の脅威は何だろう? 核戦争か、新型感染症か、それとも地球温暖化か、人によって答えは違うだろうが、間違いなく上位に入るのが「ガン」だろう

 

ガンという病気は古代ローマ時代にすでに知られていた。それから2000年以上経過した今も恐れられる存在であり続けている。ガンとは一体何か、どういう仕組みで生じるのか、なぜ特効薬や決定的な治療法が見つからないのか・・・

そうした疑問に答え、過去から現在に至るまでの研究成果や治療方法、そしてガンとの向き合い方を指し示すのが本書の著者、キャット・アーニー(Kat Arney)だ。

 

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Kat Arney(キャット・アーニー)

著者によれば、ガンは生物の基本システムに組み込まれたバグであり、あらゆる生物はガンになる。ガンは適応と進化を繰り返す可変的で複雑なシステムであり、細胞社会のルールの全てを破る存在だ。規律ある社会における反社会的集団と言える。

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枕草子・第11段~第20段

枕草子・第11段から20段にかけては、山は、市は、峰は、原は、淵は、海は、みささぎは、渡りは、たちは、家は、といったようにお馴染みの「〇〇は」で始まる短い段が続きます。いずれも和歌の歌枕として取り上げられていたものと思われます。

 

第11段 山は

山は 小倉山 鹿背(かせ)山 三笠山
山と言えば 小倉山(1) 鹿背山(2) 三笠山(3)

1.保津川を挟んで嵐山と向き合う山
2.京都府の南端、奈良県との県境にある山
3.奈良の春日山の一峰

 

このくれ山 いりたちの山 忘れずの山 末(すえ)の松山
このくれ山(4) いりたちの山(5) 忘れずの山(6) 末の松山(7)

4.不詳(木の暗れ、この暮れに通じる)
5.不詳(入り立つは、女性の家へ親しく出入りする意)
6.山形県蔵王山の古称
7.不詳(波が越えぬ山として和歌に詠まれる)

 

かたさり山こそ いかならむと おかしけれ
片去り山(8)とは、どうやって脇へ寄るのかと思うと、おもしろい

8.不詳(かさたる=相手に遠慮して身を引く)

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