よもやま茶飯事

心に浮かんだことを書き綴ります

徒然草 第2段 いにしえの聖の御代の

第2段 いにしえの聖の御代の

 

徒然草の第2段は、「政治のカネ」を巡るお話です。今も昔も人の上に立つ人間は質素倹約が求められるようです。

 

いにしえの聖(ひじり)の御代(みよ)の政(まつりごと)をも忘れ
かつての聖天子の時代(※)の政治も忘れ

※貴族社会の理想的な全盛時代とされる醍醐天皇村上天皇の時代

 

民の愁(うれい) 国の損なわるるをも知らず
民衆の憂いや、国の疲労してゆくのにも気づかず

 

万(よろず)に清らをつくして いみじと思い
すべてに華美を尽くして、それを立派だと思い

 

所せきさましたる人こそ
あたり狭しと我が物顔で振舞っている人こそ

 

うたて 思うところなく見ゆれ
ひどく、思慮のないさまに見える

 

「衣冠(いかん)より馬・車に至るまで
「衣装や冠から、馬や牛車に至るまで

 

有るに従いて用いよ 美麗を求むる事なかれ」とぞ
あるものを間に合わせて使え、華美を求めてはならぬ」と

 

九条殿の遺誡(ゆいかい)にも侍る
右大臣・藤原師輔の遺訓(※)にもある

平安時代の右大臣、藤原師輔(もろすけ)が書き残した「九条殿遺誡」を指す。師輔は娘を天皇の后にして権勢を振るった。藤原道隆道長の祖父にあたり、「枕草子」で描かれる中宮・定子(ていし)の曽祖父

 

順徳院の 禁中の事ども書かせ給えるにも
順徳院(※)が、宮中の諸事についてお書きになっている中にも

※第84代の天皇。父・後鳥羽上皇と共に鎌倉幕府の執権、北条義時に対して挙兵した承久の乱(1221年)で敗れ、佐渡へ配流される

 

「公(おおやけ)の奉り物は おろそかなるをもてよしとす」とこそ侍れ
天皇のお召し物は、質素なものをもって良しとする」とある(※)
※「禁秘抄」の中に書かれた一節

 

徒然草・第2段 了>